りんごのしあわせ
2008年3月から半年U-CAN生涯学習局の「随筆入門講座」を受講した。このきっかけは、上記の平田夫妻のリハビリ談をライターとして本にまとめる大変なことを引き受けることにしてしまったことからだ。
しかし、毎年何か新たなことにチャレンジしたいとの思いと、わの会の文集に8年間出筆してきて、段々文章を書く愉しみが増してきて、もう少しいい文章が書けないものかとの思いが重なったんだろうと思う。
講座では、厚いテキストが4冊送られてきて、毎月800字の課題随筆を提出するのは結構しんどかったが、結果が返ってくるのが愉しみでもあった。ここに、最初の1~3回目の課題随筆よりもいい評価をいただいた、4~5回目の課題随筆「富士山オタク」と「母からもらった夢」の2編を掲載させてもらった。
8年間の文集の中にも書いて、ちらちらっとでてきたテーマですが、さて少しは向上して、随筆らしくなっているでしょうか。
富士山オタク
私自身、かなりの富士山オタクのような気がしている。 富士山オタクには(そう呼んでいいかは別にして)プロ、アマ含めて、写真家、画家、その他ものすごい人達が、多数いることも承知している。
足元にも及ばないかもしれないが、私なりに、富士山オタクをエンジョイしているのである。それも、もう50年近くになる。始まりは、甲府での4年間の学生時代からである。
八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳など南アルプスからの雲上の富士山は、登山の辛さを忘れさせてくれるほど見事なものであった。
その後、何の因果か、富士フイルムに入社した。足柄工場のある南足柄町に住んで、独身寮から下駄履きでも行けた明神ヶ岳、金時山はじめ、箱根各所からの富士山にも虜となった。自分の家を建てるには、富士山の見える所と決めていた。
ちょうどその頃、住宅地開発が盛んになり、いろいろ探すうち、開発中の平塚市の最北高台の南斜面の団地に立って、驚嘆した。真西に堂々たる富士山の雄姿があるではないか。真南に湘南平と相模湾、北には大山という位置にあり、団地の名前が、文字通り「ふじみ野」だった。
これ以上の所はないと即決し、思いの土地を手に入れ、1年後に、我が家を新築した。あれから35年近くたった今でも、毎日のように、2階の西窓から富士山を見届けて出かけている。
そして、定年退職してから、ハイキングと温泉の会を主催することになり、神奈川県内の60コースの内、40コースで富士山のビュウポイントを見付けて入れている。
好天にめぐまれて、富士山の顔を拝めた時には、メンバー全員の歓喜となり、心なごませてくれている。
近年、自然環境の変化が激しい。いつまでも、あの美しい姿のままでいてほしいと、唯々、願うばかりである。
母からもらった夢
私のふるさとは、兵庫県揖保郡太子町、揖保の糸、そうめんの里である。 昭和22年から27年までの小学時代をそこで過ごした。戦後の復興期については、子供ながらに辛いことも思い出されるが、山あり、川あり、稲秋、麦秋の田畑ありの、日本の田舎の原風景が、私のふるさと感を大きく包み込んでくれている。
その頃の母の思い出は多く、私の人生の心の部分に最も影響を与えていると思われる。 その母は、たいそう花が好きだった。農家の納屋を改造した小さな家屋の前に広い庭があった。もちろん、さつまいもやトマト、ナスなどの野菜畑もあったが、その一角にお花畑があり、矢車菊や百日草、スイートピーなど色とりどりの花が年中咲いていた。
母は、大変な農作業にもなれて、通りがかりの村人たちに声をかけては、このお花畑の花をおしげもなく切り花として差し上げていた。花を切る間の村人との談笑が、農作業の辛さを忘れさせていたのかもしれない。
いろいろな花の中でスイートピーの花が今でも忘れがたく、私の一番好きな花になっている。
母のスイートピーは、えんどう豆を育てるようにちょうど背丈ほどの竹柵をつくってからませていた。二畝、三畝つくられ、赤、白、紫、 桃色など蝶形の花が春から夏の終わり頃までみごとに咲き誇っていた。
現在、うちの庭は女房まかせであるが、それでも四季折々の花が咲いており、最近庭の花を床の間などに生けることが一つの愉しみになっている。 今は、尺八やハイキングと温泉の会などで忙しいほどであるが、いつの日か、スイートピーを母のように立派に育てて、通りすがりの近所の人達にも喜んでもらいたいと思っている。
そして、スイートピーじいさんなどと呼ばれて天寿を全うしたいと思う。
この二題の随筆に関しては、更に思いは深く、富士山については、平成17年に国土交通省が選んだ「関東富士見百景」に平塚からは7つの風景が選ばれました。
今年は、わが平塚からの富士見50景、100景にデジカメ片手に挑んで見たいと思います。また、母のスイートピーの思い出のように、ほんの3~40年前までは、多少食に窮していても、庭にも垣根にも花が咲いていたし、身近に花のある生活をしていたように思う。
2010年3月、我が家から南に3~4キロの所に、県立の花と緑のふれあいセンター(愛称、花菜ガーデン)が誕生します。地元のスポットとして、私も何かかかわっていきたいと思っています。
花と緑とは、環境の問題のようですが、いま人間の心に血が通っていないような状況は、花や緑だけでなく、町並みや商店街など近隣の風景、生活空間に必要なものを取り戻すことが重要です。
温泉に入ってスーパーマンになる会やアイデアを愉しむ会でも、花と緑がより身近になるようなテーマにも取り組んでいきたいと思っています。



